赤外分光法と近赤外分光法の違い
赤外分光法(infrared spectroscopy:略IR)と近赤外分光法(near‐infrared spectroscopy:略NIR )。
それぞれスペクトル情報を分析し、様々な分野へと応用する分光法として広く知られていますが、その違いはどこにあるのでしょうか。
今回は、近赤外分光法と赤外分光法について、以下3つの観点からそれぞれの特徴を洗い出し、違いを解説していきます。
近赤外分光法の詳細は、こちらを確認ください。
分光器に関しての基礎知識やアプリケーション事例や製品などいろいろな情報をまとめたページを作成しました。以下のリンクを参照ください。
近赤外分光に関しては水分測定、中赤外分光に関してはオイル測定の事例なども紹介しています。
1. 扱う波長とその特性
光には波長域ごとに名前をつけられています。
私たちの目に見える光の範囲は可視光と呼ばれており、可視光域よりも長い波長の光が「赤外線」です。
赤外線(せきがいせん)は、可視光線の赤色より波長が長く(周波数が低い)、電波より波長の短い電磁波のことである。ヒトの目では見ることができない光である。
Wikipediaより引用(最終閲覧日:2019/5/21)
赤外線は、可視光に比べて「波長の長い光」です。
赤外線は英語で「infrared」と言いますが、これは赤外線が「可視光域の赤い光」の外側にあるため、ラテン語で赤を越えるという意味を持つ「infra-red」と名前がつけられます。
(参考:尾崎幸洋 2015『近赤外分光法』(講談社))
赤外線は波長によって、
- 近赤外線
- 中赤外線
- 遠赤外線
の3つに分類されます。
近赤外分光法は「近赤外線」を、赤外分光法では「中赤外線」の波長の光を扱います。
近赤外分光法 | 赤外分光法 | |
---|---|---|
扱う波長 | 近赤外線 | 中赤外線 |
波長域 | 780nm-2500nm | 2500nm-25000nm (2.5μm-25μm) |
このように、近赤外分光法と、赤外分光法では、それぞれ扱う波長が異なっています。
- 近赤外分光法:測定対象に「近赤外線」を照射、近赤外スペクトルデータを獲得
- 赤外分光法:測定対象に「中赤外線」を照射、赤外スペクトルデータを獲得
極めて単純化すると、近赤外分光法と赤外分光法はこのように表現できます。
そして、それぞれが扱う光──「近赤外線」と「中赤外線」には、特性があります。
波長の特性
通常、光が物体に当たると、物体から光が反射したり、物体へと吸収されたり、物体をすり抜けたりします。
近赤外分光法、赤外分光法では、こうした光の反射、吸収、透過を利用し対象を測定しているのですが、近赤外線と中赤外線では、波長の特性が異なります。
- 近赤外線:透過しやすい
- 中赤外線:物質固有の吸収スペクトルが現れる波長域がある
近赤外線はほとんど透過します。
近赤外線に対し、中赤外線は試料に吸収されやすいという特性があります。
中赤外域には「指紋領域」と呼ばれる波長域があります。
指紋領域の「吸収スペクトル」は「物質ごとに異なったスペクトルが現れる」ため、化学物質の同定などに応用できます。
同じ「赤外線」だとしても、近赤外線と中赤外線では、波長の特性が異なっているため、それぞれの測定原理や、測定結果(スペクトルデータ)が異なります。
近赤外分光法の詳細は、こちらを確認ください。
赤外分光法と近赤外分光法の違い(1)
- 近赤外線:透過しやすいため、非破壊測定に適合している。
- 中赤外線:物質固有の吸収スペクトルが現れる波長域があるため、科学物質の同定が可能。
2. 測定できる情報
測定方法に大きな違いはない
赤外分光法と近赤外分光法は、ともに吸収分光法を基本としています。
双方「測定対象に赤外線を照射し、対象が吸収した光のスペクトルを分析する」という分析方法です。
赤外分光法や近赤外分光法は、あくまで「分析の手法」ですので、実際にスペクトル分析を行う際は「分光器」を用います。例えば、赤外スペクトルを分析する際は、赤外分光法を用いた光学機器としての「赤外分光器」を使います。
「赤外分光器」と「近赤外分光器」を用いた測定方法を簡略化すると、次のようになります。
- 測定対象に、光を当てる。
- すると対象は、光を吸収、反射、発光、拡散反射する。
- 反射光や透過光を測定することで、対象に吸収された「吸収光」を割り出す。
つまり、
分光器が照射した光 − 反射光・透過光 = 対象に吸収された光
ですので「反射光・透過光」を測定することで「吸収光」を割り出すことができます。
こうした手順によって「どの波長の光がどのぐらい吸収されたか」という「吸収スペクトル」データを見ることができます。
こちらが、大まかな測定の手順ですが、双方、データの測定方法に大きな違いはありません。
違いは「取り扱うエネルギー準位の遷移」
赤外分光法も近赤外分光法もスペクトルデータ(測定対象に関する分光データ)を見ています。
これによって、食品の分析やオイルの分析などを行います。
何故、分光データを見ることで、そういった分析が可能になるのかというと、それは分子の特性と関係しています。
分子には、次のような性質があります。
- 分子は振動しているが、その振動は分子ごとに異なっている。
- 分子は赤外線を吸収するが、吸収する赤外線は分子の振動によって決まる。
例えば、H2O(水)とCO2(二酸化炭素)では、分子は異なる振動をしています。
分子の振動が違う=吸収される赤外線の波長が違うため、分子に吸収された赤外線の情報を見ることで、分子を特定できるのです。
赤外スペクトルには、多くの場合、物質の振動スペクトル(vibrational spectrum)が現れる。振動スペクトルは、いわば物質の指紋であり、物質の同定に優れている。また、物質の存在状態──気体、液体、固体、溶液などの状態──が異なると、同じ物質でも異なるスペクトルを与える。
日本分光学会 編,赤外・ラマン分光法(分光入門シリーズ), 講談社(2009)より引用
分子の振動の分光情報(物質の振動スペクトル)は、分子ごとに異なっているため「物質の指紋」と表現されます。
「分子が吸収する波長が分子ごとに異なっている」ため、分光データをみることで、分子を特定することができるのです。
「分子と波長の特性を利用する」という点は赤外分光法と近赤外分光法とも同じですが、観測される分子振動が違っています。
赤外分光法では、基本音(fundamental tone)、倍音(overtone)、結合音(combination tone)を観測します。
対して、近赤外分光法では、基本音は観測せず、倍音、結合音のみが観測されます。
赤外分光法 | 近赤外分光法 | |
---|---|---|
分子振動 | 基本音、倍音、結合音 | 倍音、結合音 |
基本音、倍音、結合音は「振動エネルギー準位の遷移」を指します。
「振動エネルギー準位の遷移」は分子の振動によって生じます。
分子の振動によってエネルギーが生じる
先ほど「分子の振動」と記しましたが、深掘りすると「電子と原子核の運動」を指します。
分子を構成する原子の「電子と原子核の運動」には
- 並進
- 回転
- 振動
の3つがあります。
このうち、赤外分光法、近赤外分光法と密接に関わっているのが「振動エネルギー」です。(※回転エネルギーも関わりがありますが、今回は振動エネルギーを中心にお話しします。)
では、振動エネルギーとはどういったものなのかというと、これは「吸収される光は、分子の振動によって決まる」という内容と関わってきます。
分子の振動エネルギー準位が上昇するとは
上述の通り、赤外線は電磁波の一種です。そのため「周波数」を持ちます。
振動する分子も光と同じく、特定の周波数を持っています。つまり、光の周波数と、分子の持つ周波数が一致すると、その光は吸収されます。
- 分子に光(赤外線)が吸収される。
- 分子の持つエネルギーが高くなる。
(※このエネルギーは振動エネルギーに限りません。)
この「分子の持つエネルギーが高くなる」というのは「分子が基底状態から励起状態に遷移する」ということです。
- 基底状態:原子が持つ最低エネルギーの状態
- 励起状態:基底状態よりも高いエネルギーを持つ状態
- 遷移:高いエネルギーの状態に移り変わるという意味(今回の場合)
このようなグラフで表現されます。
結合間隔は分子における「原子核と原子核の距離」を示します。分子が振動すると「結合間隔」が変わり、エネルギー準位が変わります。
そして基本音、倍音、結合音は「分子の振動エネルギー準位の遷移」を指しています。
基本音、倍音、結合音は「基底状態からどのように遷移するか」を基準に区別されます。
- 基本音:基底状態と1種類の量子数が1である励起状態との間の遷移。
- 倍音:基底状態と1種類の量子数についてのみ2以上である励起状態との間の遷移。
- 結合音:基底状態と2種類以上の量子数が1以上の励起状態との間の遷移。
古川行夫 2018『赤外分光法』(講談社)参考
赤外分光法、近赤外分光法ではそれぞれの扱うエネルギー準位の遷移が異なります。
- 赤外分光法:基本音、倍音、結合音
- 近赤外分光法:倍音、結合音
近赤外分光法では「基本音」を扱いません。
これが二つの大きな違いになります。
近赤外分光法の特色として、よく知られているのが
- 倍音、結合音という禁制遷移を中心に取り扱う
ということ。禁制遷移というのは、起こる確率が低い遷移です。
赤外分光法でも、倍音、結合音は扱いますが、やはり禁制遷移を中心としているのは、近赤外分光法です。
起こる確率が低い遷移(=禁制遷移)に対し、発生する可能性が高い遷移を「許容遷移」といいます。
赤外分光法と近赤外分光法の違い(2)
- 赤外分光法:倍音、結合音も扱うが、許容遷移を扱える。
- 近赤外分光法:倍音、結合音という禁制遷移を中心に取り扱う。
取り扱う遷移の違いが、それぞれの「分析対象の違い」と関わってきます。
3. 分析対象
赤外分光法の場合
分子の振動から、分子の状態や、環境に関する情報を得られます。
そのため、赤外スペクトルを割り出すことで、分子構造や分子の状態を判断する情報を獲得できます。
赤外分光法は、物質の同定に強みを持っており、さらに「気体、液体、固体」など状態が異なると同じ物質でも違う赤外スペクトルが測定されます。
また、定量分析ができるという強みから、ガスや液体などの測定で活用されています。
赤外分光法を用いたアプリケーションは幅広いため、今回は一例として「バイオディーゼル燃料の分析」をご紹介いたします。
こちらは、バイオディーゼル燃料のFAME量を分析した際に得られたスペクトルグラフです。
このように、対象の吸収度を測ることで、燃料中の成分分析が可能になります。
赤外分光法アプリケーション詳細へのリンク
バイオディーゼル燃料の測定 | バイオディーゼル燃料内のFAME含有量の測定アプリケーションの詳細 |
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エンジンオイルの測定 | 中赤外分光法によるエンジンオイルの劣化測定アプリケーションの詳細 |
近赤外分光法の場合
近赤外分光法には「倍音、結合音という禁制遷移を中心に取り扱う」という特色があります。
禁制遷移は非常に弱い=透過性に優れているという「波長の特性」と繋がります。
特に近赤外領域の中でも透過性が高い波長域と言われているのが、可視光域に最も近い「800〜1200nm」です。
この波長域は「生体の窓」とも言われているそうです。
この領域はきわめて透過性にすぐれる。
紫外〜可視〜赤外域の中で生体に対してすぐれた透過性を持つのはこの領域のみであるため、領域Ⅰ*は整体の窓とも呼ばれている。
この窓を用いた農作物への応用や生物学・医学への応用が活発に行われている。
*800〜1200nmの波長域は本書にて「領域Ⅰ」と表現されています。
尾崎幸洋2015『近赤外分光法』(講談社)より引用
近赤外線は「透過性が高い」という性質から、人体の分析に活用されています。
また、近赤外分光法は、元々、穀物の水素結合の研究において、近赤外分光法の有効性が示されたところから発展してきました。
そのため現代でも食品・農作物の分析や水分測定には強みがあります。
近赤外分光法アプリケーション詳細へのリンク
水分の測定 | ダンボール、錠剤、お茶の葉などの水分測定アプリケーションの詳細 |
---|
製品紹介
中赤外分光システム(赤外分光器)
こちら、当社取り扱いの中赤外領域を取り扱う中赤外分光システムです。
肥料分野で実績のあるSpectrolytic(スペクトロリック)社による製品シリーズ。
小型で可搬性が高いため、現場で活用できる実用性の高いシステムです。
近赤外分光センサー(近赤外分光器)
こちら、当社取り扱いの近赤外分光センサーです。通常の測定はもちろんのこと、
- 小型で使いやすい
- IoTにも対応可能
など、革新的な技術でもって製作された製品です。
超小型 近赤外分光センサモジュール
- 超小型:25x25x17mm3
- 軽量:15g
IoTデバイスに組み込めるほどのサイズと高い性能を両立した近赤外分光センサーです。
その重さはわずか15g。製品詳細ページで手のひらに乗るほどのサイズ感をご確認ください。
広帯域・超小型 分光センサー
- 超小型:6x6x5.3mm
- 広帯域:340~1,010nm
紫外・可視・近赤外の広帯域の波長範囲のスペクトル測定が可能です。
装置への組み込みや、IoT等の大量生産が必要とされるマスマーケットのアプリケーションに適しています。
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